好きであることの理由

人の欲は思考であり、本能である。
人が何かを求めるとき、
特に欲求というものに関しては
理由がないことが多い。


訂正、
理由がないのではなく理由は必要ないといったほうがいいだろう。


人の思考に、”何故”を繰り返し問いていくと
理由がないところで止まってしまう。
もしくは医学的、精神的な部分で不明になってしまう。
人はそれを「仕方が無いことだ」と考える。


人が何かを好きにある、好きであることに理由はない。
好きなものは好きなのだ。


しかし、嫌いなものには理由がある。
トアラウマ、味、匂い、体調の変化が生じるなど。


誰かを好きになることに、理由はない。
でも、「その先進むこと」には本能から生じる欲求がある。


その途中経過に生じるものに対してのみを目的とする場合もある。
途中で止まるのは思考がはいるからだ。


でも、始まりもその先も「好き」であることについては、理由はない。
目的はあっても。